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名古屋高等裁判所 平成8年(行コ)28号 判決 1997年8月08日

控訴人 名古屋市中村区社会福祉事務所長 鬼頭五郎

控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」という。) 名古屋市

右代表者市長 松原武久

右両名訴訟代理人弁護士 鈴木匡

同 大場民男

右両名訴訟復代理人弁護士 鈴木雅雄

同 深井靖博

同 堀口久

右指定代理人 中山孝雄 外二名

被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」という。) 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 内河惠一

同 渥美裕資

同 竹下義樹

同 尾藤廣喜

主文

一  原判決中、控訴人ら敗訴の部分を取り消す。

二  被控訴人の請求(当審で拡張した控訴人名古屋市に対する請求を含む。)をいずれも棄却する。

三  被控訴人の附帯請求を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  控訴人ら

主文と同旨

二  被控訴人

1  控訴人らの控訴につき

(一) 本件控訴をいずれも棄却する。

(二) 控訴費用は控訴人らの負担とする。

2  附帯控訴につき

(一) 原判決中、被控訴人敗訴部分を取り消す。

(二) 控訴人名古屋市は、被控訴人に対し、七五万円及びこれに対する平成九年三月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人名古屋市の負担とする。

3  当審における新請求につき

控訴人名古屋市は、被控訴人に対し、一〇〇万円及びこれに対する平成九年三月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二当事者の主張

当事者の主張は、次のとおり付加及び訂正するほかは、原判決の「事実」欄中「第二 当事者の主張」の記載を引用する。

1  原判決五頁一行目の「保護」の次に「の開始」を付加する。

2  同頁六行目から一二行目までを次のとおり訂正する。

「(三) 控訴人名古屋市中村区社会福祉事務所長(以下「控訴人所長」という。)は、平成五年八月一二日付け書面により、被控訴人に対し、保護開始時期を同年七月三〇日、保護の種類を医療扶助とし、生活扶助及び住宅扶助を含まない保護開始決定(以下「本件開始決定」という。)の通知を同年九月三日にした。

(四) 控訴人所長は、平成五年八月一二日付けで、本件申請により開始した右保護を同年七月三一日をもって廃止する旨の決定(以下「本件廃止決定」という。)をし、同年八月一三日、被控訴人にその旨の通知をした。」

3  同一三頁一一行目と一二行目の間に次を付加する。

「5 弁護士費用(当審における拡張部分)

被控訴人は、控訴人所長の前記違法処分(引用する原判決の前記3)及び不法行為(引用する原判決の前記4)により訴訟を提起せざるを得なかった。しかも、控訴人らは、原判決で本件開始決定が違法であること及びそれが不法行為になる旨の判断があったにもかかわらず、それを是正することなく、不当にも本件控訴を申立てた。被控訴人は、右訴訟の提起、追行を被控訴人訴訟代理人に委任したが、その報酬は日本弁護士連合会の報酬基準によれば、一〇〇万円を下回ることはない。」

4  同頁一二行目から同一四頁二行目までを次のとおり訂正する。

「6 よって、被控訴人は、本件開始決定の取消しを求めるとともに、国家賠償法に基づき、控訴人名古屋市に対し、不法行為による慰謝料一〇〇万円及び弁護士費用一〇〇万円の合計二〇〇万円並びに内二五万円につき本件開始決定の日である平成五年七月三〇日から、内一七五万円につき不法行為後の平成九年三月六日から、それぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

5  同一六頁四行目の「原告は、」の次に「平成五年七月三〇日」を付加する。

6  同一七頁一行目の「ととし」の次に「、同日、被控訴人は大菅病院で診察、治療を受け」を付加する。

第三証拠

証拠関係は、原審記録中の書証目録及び証人等目録並びに当審記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

第一控訴人所長の本案前の答弁について

原判決の「理由」欄の「第一 本案前の答弁について」の記載を引用する(なお、本件開始決定が取り消されるとき(被控訴人の原審請求の趣旨第1項)は、処分庁である控訴人所長は、取消判決の拘束力により支給しなかった給付を支給すべきことになる。行政事件訴訟法三三条二項)。

第二本案について

一  請求原因第1項及び第2項の事実は当事者間に争いがない。

二  次に、本件開始決定の適法性について判断する。

1(一)  証拠(甲一〇、一九、二六、乙四三、原審証人藤井克彦、同神谷眞功の各証言、原審における被控訴人本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によると、被控訴人が本件申請をするに至った事情として、次の事実(一部争いのない事実を含む。)が認められる。

(1)  被控訴人は、昭和一三年二月二二日生まれの男性であり、昭和二八年三月に岐阜県揖斐郡揖斐川町の中学校を卒業した後、東京都江東区で塗装の仕事をしたり、岐阜県に戻ってからは雑貨の行商や飲食店に勤務したほか、名古屋市では中華料理店に勤めるなどして何度か転職したが、昭和五三年ころ(被控訴人が四〇歳のころ)から、飯場に入って土方や大工の仕事をするようになり、平成元年三月二七日には日雇労働被保険者手帳の交付を受けている。そして、本件申請前は、名古屋市とその近辺において、日雇建設労働に従事していた。

(2)  被控訴人は、平成四年一〇月ころ、自転車に乗っているときに自動車と接触して転倒し、その際に左足を道路に打ちつけたことがあったが、そのころから時々両足がつったり、両足の筋肉に痛みが生じるなどの症状が出るようになった。右事故後、滋賀県の近畿地水という事業場でスイッチの操作による川の揚水の仕事に従事するようになったが、足がつるようなことがあり、その時にはサロンパスを貼付したりマッサージをしたりして対処した。被控訴人は、同所を同年一二月末にやめる時に二〇万円を受領した(内六万円は岐阜県の知人からの借金六万円の返済に充てた。)が、その後、求職の努力をしたものの仕事はなく、平成五年一月下旬ころには所持金がなくなったため借金をするようになった。そして、平成五年三月九日ころから愛知県岡崎市の林事業所に一か月契約で働き、やめる時に約九万円を受領した(内約四万円を借金の返済に充てた。)が、仕事がみつからないため間もなく所持金はなくなり知人から借金をするようになった。

(3)  被控訴人は、手配師の紹介により、平成五年四月二二日ころから、同年五月二〇日ころまでの間、名古屋市港区にあった松永工務店の飯場で建設作業員として働き、同年六月二日ころから同年七月二日まで再度松永工務店の飯場で建設作業員として働き、前者及び後者の期間につきそれぞれ約八万円を受領した(内半額近くをそれぞれ借金の返済に充てた。)。

そして、右就労期間中も、時々、足が痙攣を起こし、型枠の解体作業中に足が痙攣したため足場上で座り込んだこともあった。しかし、そのような症状には、サロンパスの貼付等により対処していた。

(4)  その後、被控訴人は、岐阜市、名古屋市において就労先を探したが、見つけることができず、平成五年七月七日ころから、名古屋駅付近において野宿をするようになった。

そして、同月八日、食物を得るためボランティアによる炊き出しの場に出かけた際、足の筋肉が痙攣を起こしかけ、その場に居合わせた笹島診療所(ボランティアの組織)の者から、「筋肉が硬くなっている。福祉事務所に行かなければならない。」と言われたことから、翌日、福祉事務所に行くことにした。

(5)  被控訴人は、翌九日(金曜日)、福祉事務所に出かけ、事情を説明して相談したところ、篠辺病院に行って診療を受けるように指示され、同病院において、ふくらはぎの痛みを訴えて、電気マッサージによる治療を受けた。そして、当日は、さらに診察の必要があると診断されたため、福祉事務所の担当者から、名古屋市の指定宿泊施設に宿泊し、同月一二日(月曜日)に再度診療を受けるよう指示された。

被控訴人は、同月一二日に福祉事務所に出かけ、書類の作成等所定の手続をした後、篠辺病院に行き、再度、電気マッサージによる治療を受けた。そして、福祉事務所に戻って面接を受けたところ、担当者から「医者が働けると言っているので、後は、自分でやって欲しい。」と言われたため、その日は野宿をした。

被控訴人は、翌一三日も、足の痛みを訴えて福祉事務所に出かけたが、当日は、大菅病院に行って診療を受けるように指示され、同病院において湿布薬と飲み薬を交付されたが、当日も、就労可能と言われ、野宿することになった。

(6)  その後、被控訴人は、週二回行われる炊き出しを頼りにし、空腹時には、水を飲むなどしながら野宿生活をしていた。

そして、毎朝、名古屋市内笹島に出て、手配師や知り合いの業者を頼って就労先を探したが、顔付け(それまでそこで働いたことがあり、気に入っている労働者しか雇わないこと)などにより、仕事を得られなかった。

(7)  しかし、平成五年七月一九日、手配師の紹介により、愛知県春日井市にある飛矢隆組の飯場に入ることになり、翌日から建設作業場においてコンクリートの破片、足場を組む鉄パイプ、金属製の踏み板などの建設資材、廃材の運搬や砕石敷きの仕事に従事するようになった。

しかし、重労働であったため、現場で足が痙攣したこともあった。そして、同月二四日(土曜日)の夜、足が痙攣し、二時間ほど動けなくなったことから、翌二五日に、「明日(月曜日)医者に行きたい。」との申し出をしたところ解雇され、同月二六日に約一万六〇〇〇円の支払を受けた後、飯場から出されてしまった。

(8)  そこで、被控訴人は、名古屋市に戻り、旅館に三泊(一泊三〇〇〇円)して、その間、仕事を探したが、朝早くから笹島に行っても業者の車は少なかった。知り合いの業者はほとんど来ておらず、来ていても被控訴人が足の病気を抱えていることを知っていて雇ってくれず、他の業者は顔付けにより雇ってくれなかった。

そのような状況は、笹島以外でも同様であった。

(9)  そのため、被控訴人は、平成五年七月二九日、笹島診療所での医療相談の際、足の痛みなどの事情を説明し、翌日、福祉事務所において、生活保護の申請をすることにした。そして、当日も所持金がなかったため、野宿した。

(二)  次に、証拠(甲一、一〇、一九、乙一ないし五、一〇、一三、原審証人藤井克彦、同神谷眞功の各証言、原審における、被控訴人本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によると、本件申請の状況と福祉事務所のその後の対応について、次の事実が認められる。

(1)  被控訴人は、平成五年七月三〇日午前一〇時ころ、福祉事務所を訪れ、福祉事務を担当する神谷眞功(以下「神谷」という。)に対し、「仕事をしたら足がつって何ともならんで、面倒みて欲しい。」旨の申し出をした。そこで、神谷は、面接室において、被控訴人から面接相談を受けた。被控訴人は、「平成四年一〇月ころに交通事故に遇い、足を打撲してから、両足のふくらはぎが時々痛む。今回は右足が突っ張る感じがあり、左足も少し痛いので働くことができない。今日は医者の診察を受けたい。」旨を述べ、神谷から保護開始申請書用紙を受け取り所定事項を記入したうえ、神谷に対し、「最近の職歴及び生活状況」として昭和六一年ころから日雇いで働きながら飯場生活をし、本件申請の直前にも笹島で日雇いの仕事をしたこと、「最近の収入」として平成五年七月二四日に日雇仕事をして八〇〇〇円の収入があったが、現在所持金は全くないこと、「資産」として何もないこと、「扶養義務者」として母親と兄弟四名がいるが連絡もあまりとっておらず、援助はしてもらえない旨の事情を説明し、更に収入申告書(乙二)、資産申告書(乙三)、扶養義務者状況届出書(乙四)の記入をした後に、前記保護開始申請書(乙一)を提出した。

(2)  神谷は、同日(七月三〇日)、被控訴人の右申し出に対処するため、取り敢えず被控訴人に治療を受けさせるとともに、足の痛みのため働くことが可能かどうかを医師から聴取しようと考え、被控訴人に医療要否意見書用紙(乙五)を交付し、それを持参して大菅病院に行くよう指示した。被控訴人は、福祉事務所から約八〇〇メートル先にあり徒歩で約一〇分程度の距離にある大菅病院に行き診察を受けたが、触診の後両足とも筋肉痛だと診断され、湿布薬三パック及び内服薬七日分を受け取り、福祉事務所に戻って来た。神谷は、被控訴人から右診察状況を聞いてから大菅病院に電話連絡したところ、被控訴人の病状は足の筋肉痛で働くことができるとの説明を受けたため、被控訴人に対し、「医者が足の筋肉痛なので働けると言っている。後は自分でやって欲しい。」との回答をした。

そこで、被控訴人は、被控訴人の本件申請に同行していた笹島診療所の構成員である藤井克彦(以下「藤井」という。)と相談したが、その結果、再度依頼しても受け入れられなければ審査請求をしようということになり、二人で、再度、神谷に対し生活保護を開始するよう申し入れた。これに対し、神谷は、他の担当職員とも協議をしたのち、被控訴人は最近まで稼働していたこと、医師による就労可能であるとの判断及び被控訴人から聴取した事情を総合的に考慮したうえ、「就労可能な場合には、生活保護を受けられない。私達では、どうしようもない。仕事は自分で探して欲しい。宿泊所の紹介もできない。食事の保障もできない。」と回答した。

そのため、被控訴人は、藤井と相談して審査請求をすることにし、神谷に対し、その旨伝えるとともに、審査請求をするために必要な書類の交付を要求したところ、神谷は、「八月一二日までに却下の通知書を作るので取りに来るように。」と指示をした。

なお、平成五年八月一〇日に福祉事務所に届けられた医療要否意見書(乙五)には、傷病名として「左下腿筋挫傷」、主要症状として「仕事してから両大腿~両下腿に痛み(+)、腫れはない、血管系の異常は認められず」、診療見込期間として「入院外一日間」の記載があった。

(3)  被控訴人は、平成五年八月九日にも、福祉事務所において、右と同様の訴えをし、大菅病院において診療を受け、同月一三日にも同様にして診療を受けた。

そして、同日、神谷又は担当の中山主査から、本件廃止決定の通知書(甲一)の交付を受けた。

その後、藤井は、本件廃止決定に対する審査請求書を作成した上、同月一七日、福祉事務所を訪れて中山主査に対し、そのような形式のものでよいかどうか尋ねたが、中山主査は、何の指摘もしなかった。

(4)  そこで、平成五年九月一日、被控訴人と藤井は、愛知県知事に対し、右審査請求書を提出したが、担当職員から、内容的には、保護開始決定に対する審査請求書になっているとして、保護開始決定の通知書の提示を求められた。

そこで、藤井は、その場で、福祉事務所に電話をかけ、中山主査に確認したが、同主査は神谷にも尋ねた上、「一日外来の場合には、全員に保護決定通知書を省いている。渡す余裕がない。」との回答をした。

そのため、藤井は、愛知県の担当者から、審査請求の受付日は九月一日とするとの約束を取り付けた上、新たに審査請求書を作成し、翌二日に提出した。

翌三日、藤井は、福祉事務所を訪れた際、中山主査から、本件開始決定の通知書(乙一〇)を受領するよう要求された。しかし、その通知書には、申請書受理後一四日を経過した理由が記載されていなかったため、異議を述べたところ、中山主査は、「八月一三日に渡せなかったため」との理由を記載して受領を求めたので、一旦、その記載に異議を述べたものの、最終的には、それを受領した。

(三)  証拠(甲一九、乙二四ないし四一、原審証人藤井克彦の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によると、本件申請後の被控訴人の生活状況などについて、次の事実が認められる。

(1)  被控訴人は、本件申請以降も笹島等で仕事を探し、また、知人やかつて働いた所を頼るなどしたが仕事がみつからなかったため藤井に相談し、右両者は平成五年九月上旬ころ名古屋中公共職業安定所を訪れ常用職業の紹介を求めたところ、吉田厨房商店など二、三軒の勤め先の紹介を受けた。被控訴人は、藤井らの協力で服装を整え、吉田厨房商店での面接を受けたが髪の毛の状態等を指摘されて断られてしまうなどして、結局、右安定所の紹介による就職はできなかった。そして、同月末になって、ようやく安藤組の愛知県小牧市にある飯場に入ったが、その後もガードマンの仕事をするなどして生活している。

(2)  控訴人所長は、被控訴人につき、平成八年五月二二日付けで生活扶助、住宅扶助、医療扶助を内容とする生活保護の開始決定をしている。その経緯は次のとおりである。被控訴人は、同月一〇日、両足の痛み、腹痛を訴えて保護開始の申立てをしたので、控訴人所長は、同日、被控訴人に対し、法二八条に基づく検診命令を発して鵜飼病院で検診を受けさせた。同病院作成の検診書(同日付け)には、傷病名として「急性腸炎」、病状として「食後より頻回の下痢、腹痛」、稼働の可否として「投薬にて、症状改善すれば稼働可」の記載があった。更に、同病院作成の医療要否意見書(同月二三日付け、乙二七)には、傷病名として先のそれより重い病名が記載されたほか、主要症状として「腹痛、下痢つづく為入院」、入院見込期間として「六か月」の記載があり、控訴人所長は、被控訴人には稼働能力がなく、また他の保護要件もあるとして前記決定をした。

2  右認定の事実に基づいて、本件開始決定の適法性について判断する。控訴人らは、被控訴人が、本件申請当時(平成五年七月三〇日)、稼働能力を十分活用しておらず、法四条一項の「利用し得る能力を活用する」との補足性の要件を欠いていたので、扶助の内容を医療扶助のみにとどめた本件開始決定を行った旨の主張をしているところ、右補足性の要件は、保護開始申請者が稼働能力を有し、その具体的な稼働能力を前提として、その能力を活用する意思があり、かつ実際にその稼働能力を活用する就労の場を得ることができるか否かにより判断されるべきであると解される。

(一) 被控訴人の稼働能力について

前記1でみたとおり、被控訴人は、平成五年七月初めまでは、建設現場で継続的に建設作業員として稼働し、型枠の解体などの作業に従事し、また同月二〇日から二四日ころまで同様に建設現場の作業員として鉄パイプの運搬等の重労働に従事していたが、右作業に従事中、両足に筋肉の痙攣が生じることがあり、両足の痛みを訴え、翌七月二五日には、雇主に対し病院に行きたいとの申し出をしたところ、解雇されていることが認められる。

しかし、被控訴人は、右解雇された後、前記のとおり当時は所持金があったのに診察・治療のために病院に行ったことを認めるに足りる証拠がないうえ、同年七月三〇日に被控訴人を診察・治療した大菅病院作成の医療要否意見書(乙五)には、被控訴人は両大腿から両下腿にかけて痛みを訴えているものの、腫れはなく血管系の異常は認められず、通院期間も一日でよい旨記載されており、また同月一二日の篠辺病院及び同月一三日の大菅病院の各診察結果も、前記認定事実によれば、右とほぼ同様の意見であったと推測されるなど被控訴人の訴える健康障害の存在及び原因が医学的客観的に明らかではないところ、前記のように被控訴人は同月一九日から同月二四日まで建設現場に雇用されてコンクリートの破片、鉄パイプや金属製の踏み板などの建築資材の運搬の仕事に従事し、同年九月末には安藤組に雇用されて建築現場での仕事に従事していることなどの事実を併せ考えると、被控訴人の稼働能力の程度は、本件申請当時、両足を使って建設資材等を運搬する等の重労働に従事する能力がなかったと直ちに言い切れないというほかないが、仮にそうでないとしても少なくとも右両足に重い負担の生ずることのない程度の業務に従事することはできたと認めることができ、この認定に反する証拠はない。

(二) 被控訴人の稼働意思及び就労場所の有無について

(1)  前記のように法四条一項の補足性の要件は、申請者が稼働能力を有する場合であっても、その具体的な稼働能力を前提とした上、申請者にその稼働能力を活用する意思があるかどうか、申請者の具体的な生活環境の中で実際にその稼働能力を活用できる場があるかどうかにより判断すべきであり、申請者がその稼働能力を活用する意思を有していても、実際に活用できる場がなければ、「利用し得る能力を活用していない」とはいえない(生活保護手帳(甲一三)三九四頁、三九五頁)と解される。

前記のように、被控訴人は、本件申請の前後を通じ、笹島等で顔見知りの手配師や労働者を通じて求職活動をしたが、建設現場の仕事がなく、平成五年九月上旬ころ名古屋中公共職業安定所を訪れ常用職業の紹介を求め、吉田厨房商店など二、三軒の勤め先の紹介を受け、同店での面接を受けたが髪の毛の状態等を指摘されて断られてしまうなどして、結局、右安定所の紹介による就職はできなかったものの、同月末になってようやく安藤組の愛知県小牧市にある飯場に入り、その後もガードマンの仕事をするなどして生活していることからみて、被控訴人には稼働の意思がなかったとはいえないと認めることができる。

そして、証拠(甲五の1ないし8、一〇、一九、三二、乙五〇の1ないし7)によると、平成五年七月時点における公共職業安定所(以下「職業安定所」という。)の愛知県の職業別常用職業紹介状況を有効求人倍率の点からみると、比較的身体的負荷の少ない「保安の職業」が二・七三倍、被控訴人が従前従事してきた作業に関連のある「建設の職業」は四・四九倍、「土木・舗装・鉄道路線工事の職業」は三・六八倍、「運搬労務の職業」は一・二七倍であり、右有効求人倍率は同月前後の月を通じても大きく異ならないこと、ただ年齢別に有効求人倍率を検討すると、五五歳以上の場合はかなり落ち込むことは否定できないこと、また名古屋中公共職業安定所の平成五年四月から平成六年三月までの日雇労働の当日求人状況(男)は合計五人(ただし、長期求人延数・男は一万二四〇〇人)に過ぎなかったし(甲一四)、年度末は、建設・土木工事の追込時期で、日雇労働者にとって仕事が増えるのが通例であるが、平成五年二月ころは例年よりその仕事の需要が落ち込み、就労できない日雇労働者も多く、同年五月以降は名古屋駅や名古屋市中心街での野宿者が急増し、多いときで四〇〇人を超える状態(平成四年四、五月の平均は約二五〇人)になっていたことがうかがわれる。

(2)  右認定事実によれば、被控訴人の本件申請当時の日雇労働の求人や紹介の状況はかなり厳しいものであったことが認められるけれども、前記のように本件申請当時の愛知県における職業別常用職業紹介状況は、その有効求人倍率からすれば、必ずしも厳しい状況にあったとはいえず、職業安定所に赴き、職業紹介を受けたうえ真摯な態度で求人先と交渉すれば就労の可能性はあった(前記のように、平成五年九月上旬被控訴人は職業安定所から就業先の紹介を受け面接までしている。)と推認することができるのであって、右によれば、被控訴人の就業の機会、就業の場が存在することの可能性を否定することはできない。被控訴人の前記笹島等における求職活動は、従前従事していた肉体的負荷の高い仕事を求めていたと推測され、また前記のとおり、被控訴人は、昭和五三年ころから飯場に就業し、平成元年から日雇労働被保険者手帳の交付を受け、名古屋市近辺で日雇建設労働に従事しており、長年従事して慣れている日雇建設労働に従事したい心情は理解できるけれども、前記のように右日雇建設労働について就業の機会があっても、足の痛みを訴える被控訴人を雇う者はなく、また就業しても足の痛みを訴えると解雇される状況にあったのであるから、被控訴人は、両足に重い負荷がある内容の建設労働に固執せず、収入面で多少の減少は避けられないとしても自己の労働能力の程度に適応した土木建築の雑役、工事現場の交通整理、その他肉体的負荷の少ない仕事に就労すべきであったというほかないところ、また前記のとおり、被控訴人はかつて飲食店に勤務したり雑貨の行商などの経験もあったのであるから、常用職業の求人はかなりの程度あった職業安定所に就業先を紹介してもらったり、新聞、雑誌等の求人欄を参考にして、警備員や店員等の職種にも求職の範囲を広げることを考慮し、真摯に就業のための努力をすべきところ、折角職業安定所から二、三の就業先の紹介を受け面接の機会を得たのに毛髪を整えないため採用を断られるなど、就業の場があっても就業のための努力をしたり、自己の労働能力の程度に相応する就業場所を開拓しようと努力をしていたと認めるに足りる証拠はない。

なお、原審証人庄谷怜子は、職業安定所による日雇労働の紹介を受けるためには、日雇労働被保険者手帳を取得することが必要であるところ、名古屋市においては右取得のために住民票を要するなど、野宿者にとって困難な要件が課せられていた旨を供述しているが、乙第四二号証(名古屋中公共職業安定所長作成の照会回答書)によれば、職業安定所で職業紹介を受けるのに、その紹介が日雇であろうと常用であろうと日雇労働被保険者手帳の有無及び住所の存在が必要であるとの取扱いはされていないことが認められるうえ、現に被控訴人は前記のとおり平成元年三月二七日日雇労働被保険者手帳の交付を受けている(乙四三)のであって、前記証人の供述は信用できない。

右によれば、被控訴人には、同人の有する程度の稼働能力を活用する機会ないしは活用する場が存在したと認めることができる。

(三) 以上のとおりであって、被控訴人の本件申請には法四条一項の補足性の要件を充足していないものというほかなく、したがって、生活保護の受給資格を欠くものというべきである。

なお、前記のように、被控訴人は、平成八年五月二二日に生活扶助、住宅扶助及び医療扶助を内容とする保護開始決定を受けているが、同決定の事由となった被控訴人の健康状態は、本件申請当時における被控訴人の痛みとは無関係な病気を原因とするものであり、かつその病状は重く、医師の医学的判断も就労困難としていると認められる(乙二七)のであるから、右保護開始決定において被控訴人が補足性の要件を充足していると判断していることが、本件申請における判断を左右するものではない。

3  本件申請につき、医療扶助を内容とする本件開始決定したことについて

右にみたとおり、被控訴人の本件申請は補足性の要件を充足していないのであるから、控訴人所長が本件開始決定をしたのは、必ずしも適当とはいえないというべきであるが、本件申請当時、被控訴人の相談に対応した神谷が、足が痛くて働けないとする被控訴人の訴えに対し、本来なら法二八条一項による検診命令を出し、稼働能力の有無についての医師の医学的意見を求めたうえで、その意見を保護の要件の判断材料にすべきところ、名古屋市では、従前から、健康上の配慮により、本来検診命令によるべきものを、一時的に法による保護の要件の認定を棚上げにした形で医療扶助だけを先行して行うという取扱いがされていたこと(乙四四)から、神谷は治療費を所持していない被控訴人が足の痛みを訴えている状況のもとにおいて、検診命令だけでは被控訴人の痛みを放置する事態を生ずることを避けるために、大菅病院で診察、治療を受けさせ、併せて稼働能力の有無の判断材料を収集しようとしたもので、医療扶助を内容とする本件開始決定もその過程で行われたことに照らすと、右決定を違法として取り消すのは相当ではないというべきである。したがって、名古屋市の右取扱いが、被控訴人のような野宿者を他の保護申請者と区別したもので、無差別平等を規定した法二条に違反するとする被控訴人の主張は失当である。また、本件開始決定は右のような事情からされたことに照らすと、右開始決定が医療扶助のみを支給するもので、被控訴人の最低生活を維持できない等から法一条、三条、八条、九条及び二四条一項に違反し、したがって憲法二五条に違反するとする被控訴人の主張は失当である。

4  以上の次第で、本件開始決定の取消しを求める被控訴人の主張は理由がない。

三  不法行為について

1  本件開始決定及び本件廃止決定が違法であることを理由とする損害賠償について

前記二認定のとおり、前者については取り消すべき違法事由はなく、また後者(控訴人所長は被控訴人を診察、治療した医師の医学的判断等を基礎として右決定をしている。)についても違法と認めるに足りる証拠はないから、その処分の違法を理由とする被控訴人の請求は理由がない。

2  本件開始決定の通知が法二四条三項の所定の期間内にされなかったことを理由とする損害賠償の請求について

控訴人所長が、被控訴人に対し、保護開始時期を平成五年七月三〇日、保護の種類を医療扶助とし、生活扶助及び住宅扶助を含まないことを内容とする本件開始決定の通知を、同年八月一二日付け書面により、同年九月三日に行ったことは当事者間に争いがない。

右事実によれば、本件開始決定の通知が、法二四条三項の「申請のあった日から」一四日若しくは三〇日以内に行われず、右同条項に違反していることが明白であるというべきである。しかし、前記のとおり被控訴人は、本件申請当日に神谷から生活扶助、住宅扶助はできないと告げられており、また、被控訴人は適法な不服申立期間内に不服申立てをしていることを考慮すると、未だ被控訴人には通知が遅れたことを理由とする損害を認めるには足りないというべきであり、したがって、弁護士費用の請求も失当である。

四  結論

よって、被控訴人の請求(当審で拡張した部分を含む。)はいずれも理由がなく失当であるから、右判断と異なる原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消したうえ、右請求を棄却し、被控訴人の附帯請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渋川満 裁判官 遠山和光 裁判官 河野正実)

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